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福岡地方裁判所小倉支部 昭和37年(ワ)149号 判決

原告 大山こと片竜甲

被告 竹内正弘

主文

原告と被告との間において、別紙目録〈省略〉記載の土地が原告の所有に属することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

《申立》

(原告訴訟代理人の申立)

主文同旨の判決を求める。

(被告の申立)

「原告の請求を棄却する。」旨の判決を求める。

《陳述した事実》

(請求の原因)

一、別紙目録記載の土地(以下本件土地という)はもと小倉市大字博労町在住の本件土地附近の人民の共有地であつた。

二、大正二年一月右人民の惣代訴外三木竹次郎の相続人訴外三木藤吉は、本件土地の共有者である他の人民の代理人をかねて本件土地を訴外竹内寿三太に対し代金三十五円で売り渡し、同訴外人は代金を完済して所有権を取得した。

三、かりに、右売買が無効であつたとしても、訴外寿三太は時効によつて本件土地の所有権を取得した。

1 同訴外人は大正二年一月本件土地を買い受けるとともに隣接土地とまたがつて本件土地上に家屋を建てて居住し、天理教の布教につとめ本件土地を平穏かつ公然に所有の意思をもつて占有を続け、同十三年四月二十五日死亡した。

2 同訴外人の長男訴外竹内小六は大正十三年四月二十五日訴外寿三太の死亡とともに家督相続し、引き続き前記家屋に居住し、本件土地を所有の意思をもつて平穏かつ公然と占有を続けた。

3 したがつて、訴外小六は少くとも訴外寿三太の占有をはじめた大正二年一月から二十年を経過した昭和八年一月頃には時効により本件土地の所有権を取得した。

四、原告は、訴外小六から昭和三十三年三月八日本件土地を代金二十四万円で買い受けてその所有権を取得したが、同訴外人は昭和三十五年十二月十六日死亡し、その長男である被告がただ一人の相続人として同訴外人の権利義務を承継した。

五、よつて、原告は、被告に対し本件土地の所有権の確認を求めるため、本訴に及ぶ。

六、1 本訴の目的は、判決により原告の所有権を証明して未登記不動産である本件土地について原告の所有権保存登記をしようとすることにある。

2 一般に確認の利益とは「原告の権利をその他人との間で確定することが原告の危険不安を除却するのに必要かつ適切である場合に認められている。したがつて、確認の利益の要素は、第一は現実の権利関係に対する争の存在であり、第二はいわゆる当事者適格の二点に帰する。

そこで、本訴における確認の利益について、問題があるから、原告はこの点についてつぎのように主張する。

3 第一の「争いの存在」であるが、原被告間において、本件土地が原告の所有であることは事実上争いはない。

しかし、1で述べたとおり、原告は未登記不動産である本件土地について所有権保存登記をするためには自分の権利を判決によつて証明することが必要であるから、原告の法律上の地位の不安危険が被告の行為によつてもたらされたものでなくとも(すなわち一般的な意味での争が存在しなくても)なお、原告にはその所有権を確認する利益がある。

4 第二に、その争を解決するには、何人を相手とすべきかということであるが、一般的には、本件のような場合公簿上の所有名義人を相手方とするのが通常であろう。しかし、公簿上の所有名義人から第三者に所有権が移転したことが立証されるときにはその第三者を相手方として所有権確認の訴を提起しても差しつかえないと考える。とくに本件土地は、現在小倉市の中心部に位置する市街地で、ことに近来の都市計画等による道路開設のため往時とは様相を一変し、すでに、本件土地を中心とする「人民」なる集団は解体し、どのような個人がこの「人民」を構成していたかは現在判明しえない。

5 土地台帳謄本には本件土地の所有者として「人民共有地」としてその持主惣代三木竹次郎ほか二名が登載されているところであつて、前記のような事態のもとにおいては右「人民」から譲り受けた被告を相手とする所有権確認訴訟は適法というよりほかない。とくに、所有権の取得原因が(予備的主張である)時効取得によるときには、なおさらそうである。

(答弁)

原告の主張事実中一ないし五は認める。

《立証》〈省略〉

理由

原告主張事実のうち一、二および四、五の事実は当事者間に争いがない。

そこで原告に確認の利益があるかどうかが問題となるが、原告は本件土地は未登記であるからその保存登記を求めるために本訴を提起するというのであり、不動産登記簿のような公簿上の記載に原告名義の所有権の保存登記をすることは原告の法的地位の不安全を解消しかつこのような不安全を解消する利益は原告にあることもちろんだからたとえ被告において事実上所有権の存在を争つていなくても「確認の利益」を有すると解すべきである。

ただ、原告が本訴において確認の利益を有するのは、本件土地の権利関係を土地登記簿上明確にする必要があるからなのであるから、はたして、土地登記簿上本件土地の権利関係を明確にするためには本件被告を相手として所有権確認訴訟を提起するのでよいかということになる。

不動産登記法(以下単に「登記法」という)によると土地について保存登記をすることができるのは官公署の嘱託によるときおよび登記官吏の職権によるときを除いて、(1) 土地台帳に所有者として登録されている者またはその者の相続人(登記法第百五条第一号および(2) 判決によつて自己の所有権を証する者(同法第百五条二号)のみに限定されている。そして、原告は(2) によつて保存登記をしようとするのであるが、本件のように、土地台帳に登録されしたがつて所有者も表示されているが土地登記簿には未登記の土地については、誰を相手とする判決がこの(2) の判決によつて自己の所有権を証する者」の判決といえるかが問題である。土地台帳に所有者として登録されている者またはその者の相続人を相手とする訴訟における所有権確認等の判決がこれに当ることはもちろんであるし、またそうすべきことが本来の立て前である。しかし、そのような訴訟の判決のみに限定されるべきではなくごく例外的なときには、土地台帳に所有者として記載されている者またはその者の相続人以外の者を相手方とする訴訟の判決もこれに当ると解してよいのではないかと思う。

まず、本件事案を検討しよう。成立に争いのない甲第一号証(土地台帳謄本)によると本件土地につき土地台帳謄本には「小倉市大字博労町六十七番地の一宅地十一坪四勺所有者の氏名人民共有持主惣代石井清玉、米田又兵衛、三木竹次郎」(なお「三木竹次郎」は「三木代次郎」と記載されているが成立に争いのない甲第二号証(除籍謄本)および被告本人の供述によると甲第一号証の「三木代次郎」は「三木竹次郎」の誤記と認められる)と記載されていることが認められ右事実による本件土地は大字博労町を構成する人民の「共有」(その実体は「人民」の「合有」とみるべきか「総有」とみるべきかは問題があろうが、その点はとも角として)に属していたものと認められる。したがつて、本件土地について判決によつて自己の権利を証明しようとする者は前記のとおり本来本件土地を「共有」していた右大字博労町の「人民」を相手に訴訟を提起すべきである。そして、このときに相手方となる「博労町」の「人民」とは現在博労町に居住している者のみをさすのか、土地台帳謄本記載当時の「人民」およびその子孫または、土地台帳謄本記載当時の「人民」にかぎらずまだ「人民共有」の意識および実態のあつた時の「人民」およびその子孫をさすのかはにわかに決しがたいけれども、そのいずれをさすにせよこのような「人民」を相手とする訴訟は不適当かまたは原告に不能をしいるものである。

すなわち、本件土地附近の博労町は現在小倉市の中心部に位置し、市街地として発展しとくに博労町を通る小文字通りの進展に伴い、まつたく往時と様相を一変し、高層のビルや新築の営業用建物が建ち並んでいることは当裁判所に顕著な事実である。

この事実からすると博労町に現在土地を所有している人々の全体を通じて「人民」「共有」の意識がなく、またそこにはかつての前近代的共同的な「人民」「共有」を認むべき実態は存在しないことが容易に推測されるのである。したがつて、博労町に現在土地を所有している人を相手として「人民」に該当するものと解することは許さるべきでないと考えられる。また、前記のような博労町およびその周辺の発展にともない博労町の土地台帳記載当時の「人民」または人民共有の意識および実態のあつた時の「人民」およびその子孫の大半は他所に四散してしまつたことは容易に推認されるのでありこのような者に対しその「人民」の構成員として所在先を追及し相手として訴訟を遂行しなければならないとすることは、原告に不能をしいるものであり、また、理論的にも「人民」なる集団の形がいに執着するものであつて、結局これらの者を相手方とする訴訟も不可能ということになる。さらに、大字博労町の「人民」またはその子孫が周囲に若干名おり、(このことは被告本人の供述によつてうかがわれる。)この残つている「人民」の一部の人たちの間では共同体的意識が残存しているかしれないにしても、これらの人たちが「人民」の権利をすべて承継したとみることは理論上困難であり、土地台帳謄本に記載されている「人民惣代」の相続人のみを相手とすることも「人民惣代」だけでその土地を当然に処分する権限があるとはいえないから、これらの者を相手方とする訴訟も適当でないということになる。

以上のように考えてくると、結局博労町の「人民」ないしその一部または「人民惣代」を相手とする所有権確認訴訟はできないということになる。すると、結局本件土地は未登記のままに放置しておくべきか、またはなんらかの次善の方法により保存登記を認めておくのが適当かということになる。本件土地が取引の対象となり、現実に多数の人の法律関係が生ずるような状態にあるとき、これを登記のできないままに放置しさるということは、土地所有権ないしその他の権利の法的安全性の点からいつて望ましいことではなく、他に差しつかえのないかぎり、保存登記のできるようにするのが妥当である。

そのように、考えてくると本件土地が「人民」からかつて第三者(訴外寿三太)に売買されその者からさらに他の第三者(原告)に売買されたようなときには、少くともあとの第三者(原告)からさきの第三者(訴外寿三太)に対する所有権確認訴訟の勝訴判決をもつて、登記法第百五条第二号に規定する「判決によつて自己の所有権を証する者」の判決に当ると解し、このようなときには、たとえ、右当事者間に事実の争いがないときでも訴訟を提起できると解して差しつかえないと考えられる。

もつともこのような考えに対し、右当事者のなれあい訴訟で「人民」の権利を害するおそれがあるとの非難がでるかも知れない。しかし「人民」が真実に第三者に売買したのであれば、その「人民」の権利はなんら害されることはないのであり、また右当事者間のなれあいで真実に「人民」の権利を害する者であれば、その「人民」の全部または一部(その相続人を含む)はその保存登記の不当ないしその後の権利関係を争えばよいのである。しかも、「人民」から第三者に対する売買の有無は誰を相手にすべきかという当事者の問題として確認の利益の問題として訴訟要件に該当し、職権調査事項に属すると解すべきであるから、右当事者間の訴訟としても前記のようななれあいは相当防がれると解される。

そこで博労町の「人民」から訴外寿三太に売買があつたかどうかを職権をもつて調査するにいずれも成立に争いのない甲第三号証(定約書)第五号証(納税に関する証明書)第六号証(字図写)に被告本人の供述によると、本件土地が大正二年一月大字博労町「人民」の代理人として三木藤吉が訴外竹内寿三太に代金三十五円で売却したこと(もつとも甲第三号証には「永代貸渡」と記載されているが、被告本人の供述により認められるその後における所有者として使用状況等からみると、売却したものと認めるのが相当であるし、また土地の表示として「小倉市大字博労町六十八番地の二」と記載されているが、甲第一号証第四ないし六号証および被告本人の供述によると本来の「六十八番地の二」は鉄道用地で訴外寿三太が使用したことがないことからみて、前記の「六十八番地の二」は本件土地の誤記と認められる。)を十分認めることができいずれも成立に争いのない甲第八、九号証(いずれも除籍謄本)によると訴外竹内小六が同訴外人の権利義務を承継しついで昭和三十五年十二月十六日被告が相続により訴外竹内小六の権利義務を承継したことを認めることができる。

したがつて、訴外竹内小六から本件土地を買い受けた原告が被告を相手として本件土地の所有権確認訴訟を提起することは、前述のとおり、適法であるというべきである。

そして、前記の当事者間に争いのない事実によると、原告の本訴請求は正当であるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 奈良次郎)

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